幼少期、記憶の形成と体験する世俗との関係は、例え5年であっても大きなギャップができるのかもしれない。
1966年、早生まれだった僕は9歳だったけど、年代的には10歳だった僕達にビートルズの来日は、出来事としては記憶にあっても体験的ではなかった。
まだ、早かったのだ。
しかし、1963年から始まり66年に終わった国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」は、体験的に自分の中にある。
原爆を投下された日本に原子力で作動するロボットが出来、人工知能により人間と同じように感情を持ち、後に100万馬力にパワーアップするが、10万馬力の力を有している。
奴隷的に使っていたロボットに対し、人間と同じような地位と権利を保証し、ロボットも守るべき義務を定めたロボット法が制定されたと言う背景を含め、今思えば、当時の世相を反映しながらも、近未来を織り込んでいた作品で、多くの物を心に宿された。
それから10年を経て、鉄腕アトムをベースに持って、1977年には未知との遭遇やスターウォーズ、79年にはエイリアンやスタートレックなど、宇宙を舞台にした未来のSF映画を体験することになる。
この手の映画の先駆けでもある68年の2001年宇宙の旅も同じような頃に名画座で体験した。
そして、82年に「ブレードランナー」と出会うことになる。
レプリカントというアンドロイド=ロボットを、宇宙の過酷な作業に使うようになった未来、とは言っても設定では再来年の2020年だったけど、その寿命は6年と設定されていた。
人と同じ感情を持つレプリカントは延命を求め地球に帰還するが、その能力は人間にとっては脅威なので、その対処をする特別捜査官がブレードランナーだ。
そのブレードランナーであるデッカードを演じたのが、ハリソン・フォード。
アメリカングラフティにも出ていたが、当時はハン・ソロであり、インディー・ジョーンズだった。
僕は、わかりやすいヒーローのハン・ソロやインディー・ジョーンズより、ハードボイルドで恋に落ち人間的弱みも見せるデッカード役のハリソン・フォードが好きになった。
酸性雨が降り続け、荒廃したロサンゼルスは日本人がはびこっていた。
あらゆる自然物が人工になり、ペットさえもアンドロイドになった世界で、デッカードは4人(台?)のレプリカントを次々と始末する。
そして、追い詰めた最後の一人に逆襲され窮地に陥るが、その時に寿命を迎えたレプリカントに命を救われる。
エンディングは、レプリカントだった恋人レイチェルと自然の中へと消えて行った。
当時の上映はスピルバーグの「ET」と被っていた上に、内容的にマニアックなので、大ヒットとは言えなかったのかもしれないが、鉄腕アトムに通じる物を感じた僕の中では、印象深い作品になっている。
雨の中を歩くシーンにかぶせて「俺はデッカード」と入ってくる始まりが、ハードボイルド好きの僕のツボを押したのかもしれない。
その後、幾つかの編集版が登場し、どれがどうだかわからなくなってきてしまうのだが、このラストを迎えるのはオリジナル上映版だけだと記憶している。
僕の好きなデッカードの語りもオリジナル上映版だけのようだ。
逆にデッカードもレプリカントだと暗示する映像が追加されたり、監督の談話が出てきたりしている。
僕が気に入ってる語りは、あまりにも難解な内容の解説であり、自然の中へ消え去るのもあまりに暗いエンディングを直したのだと言う。
それらにより、上映版をベースにディレクターズカットが世に出てきたのだ。
この辺りもあって、更にマニアックな映画の立ち位置を長く確保している、まれな映画になっていた。
デッカードを最後に救ったレプリカント、ロイ・バッディの最後のセリフは明らかにレプリカントとして人間に向けられていた。
その上に、レプリカントが「自らの性能上が停止してしまう時に人間の命を救った」と見ていたものが、実は同じプリカントを助けたと言うのでは映画の持つ意味は少し変わってしまう。
僕が人間的弱みを感じていたデッカードは、やはりレプリカントなのか?
その疑問の答えを知ることが出来るのか、「ブレードランナー2049」を見てきました。
ブレードランナーの監督だったリドリー・スコットは製作総指揮の位置付けでドゥニ・ヴィルヌーヴが監督に起用されている。
約2時間半の上映時間だったけど、長くは感じなかった。
ただ、この映画から「ブレードランナー」に入った方にどう映るかと言うと、少し難しいのかもしれないと思う。
ネタバレは避けたいが、もう既に色々と表に出ているので少し書くと、今回の主役はデッガードではない。
主役の2049年のブレードランナーは最初から製造番号で呼ばれるレプリカントだ。
もしかしたら人間かもしれないと言う出来事に巻き込まれて行き、デッカードに結びついていく。
その、デッカードは被爆エリアに暮らしていて、それはレプリカントの証明と言う事なのかもしれない。
しかし、海に溺れそうになるのはいかにも人間らしい。
今回も疑問は残ったままの様な気もする。
今回の主役であるKは、第1作でロイ・バッディが雨の中に倒れたのに対し、デッカードを海から助け出した上で、雪の中に倒れて終わる。
性能上の寿命は無くなっているので、修理すれば直るとも思われるし、また、他のレプリカント達の反逆の動きの描写もあった。
とすると、29年と言う間隔ではなく、「ブレードランナー2051」位で第3作があるのかもしれない。
しかし、単なる人間対レプリカントの戦いとなってしまったら、2049を含む続編はオリジナルとは違う位置にあると思わざるを得ない。
長い間に各自の中で出来上がってる「ブレードランナー」感の多くを受け止めた映画を作成するのはもはや難しいだろうから、ここから始まると見た方が良いのかもしれない。
マーベルのテレビドラマシリーズ「エージェント・オブ・シールド」の最新シリーズでは、それまでの超能力者に加えてアンドロイドも登場する。
アンドロイドに主役のフィル・コールソンが「君も電気羊の夢を見るの?」と尋ねるシーンにほくそ笑んでしまった。
もちろん、その下地は「ブレードランナー」オリジナル上映版にある。