12月9日、98回の歴史を持つ天皇杯JFA全日本サッカー選手権の決勝が、埼玉スタジアムで行われました。
全国各県の予選には2000を超えるチームが参加、J1とJ2のクラブと予選を勝ち抜いた全88チームで本大会が行われ、浦和レッドダイヤモンズが1−0でベガルタ仙台を下し、12年ぶり7回目の優勝を果たしました。
1968年から始まったサッカー観戦、三菱・浦和50周年の年に去来したもの
僕が初めてサッカーの試合を見たのは1968年でした。
1964年の東京オリンピックでサッカー日本代表はベスト8に進出をしました。
当時のオリンピックは完全にアマチュアの大会で、欧州や南米の強国はアマチュア代表が参加していました。
当時、日本はプロサッカー選手がいないので、フル代表が参加していました。
そして、制度的にプロ選手がいなかったヨーロッパの社会主義国が、オリンピックの強国になっていました。
優勝はハンガリー、準優勝はチェコスロバキアでした。
ちなみに、非公式戦ですがベスト8の敗者によるトーナメントで日本はユーゴスラビアと対戦し、1−6で破れたのですが、ユーゴの6点のうち2点は元日本代表監督のオシムさんが入れています。
当時の日本代表は西ドイツのクラマーさんをコーチとして迎え、地元のオリンピックに対する強化を進めてきました。
そのクラマーさんが、さらなる強化策として提言された一つに、全国リーグの実施がありました。
東京オリンピックの翌年1965年に8つの社会人チームによる日本サッカーリーグが創設されました。
僕が見に行ったのは、その日本リーグの試合でした。
見に行ったのは父親の仕事の関係で、三菱重工の試合でした。
駒沢競技場で行われた、確か三菱重工対東洋工業だったと思います。
今で言えば、浦和レッズ対サンフレッチェ広島です。
ただ、これは曖昧な記憶ですが、間違いない記憶が残っています。
それは国立競技場に4万人の観衆を集めた三菱対ヤンマー、この試合は間違いなく見に行った記憶があります。
今ならば、浦和レッズ対セレッソ大阪です。
この試合前に、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表、その多くのゴールを取ってきた杉山→釜本ラインが、両チームのエースとして戦う大一番でした。
1968年に日本サッカーリーグで三菱重工の試合を見てから、今年は僕の勝手な三菱浦和50周年でした。
40周年の2008年はオジェック監督が2試合で交代、エンゲルス監督も一時期もチーム力を回復させたけど失速し、決勝トーナメントから参加できたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)は連覇の絶好のチャンスでしたが準決勝でガンバに敗退と、残念なシーズンに終わりました。
50周年の今年も、堀監督が更迭、大槻暫定監督が復調させるも、本監督として招聘した鹿島アントラーズの監督として大きな成果を残したオリベイラ監督は、その流れにワールドカップ中断まで乗り切れずに低迷してしまいした。
更に、これも元鹿島アントラーズのファブリシオ選手の獲得で、今度はまさかのカシマ路線?との思いが去来したのです。
これまでの浦和レッズは、アルビレックス新潟から多くの選手を獲得したり、ペドロビッチ監督も含めてサンフレッチェ広島から選手を獲得し、自らのクラブのアイデンティティを不明確にして来た経緯があったのです。
横浜での宇賀神のゴールに、新しい流れを見た
そんな想いの中、オリベイラ監督のチームマネジメントを僕が試合から感じとれたのは、アウエーの横浜マリノス戦でした。
この試合の先制ゴールを決めた宇賀神選手は、ゴールを決めてもニコリともせず自らに気合を入れていました。
ちゃんと見ていなかったのかもしれませんが、シュートを外して笑ってる印象はあっても、あんなに厳しい宇賀神選手を見たのは初めてかなと思ったくらいです。
その時、浦和レッズの中に、正しく厳しい競争が生まれているなと僕は感じたのです。
オリベイラ監督は宇賀神と同じポジションの若手にもチャンスを与えていましたから、試合で結果を見せないといつ変わるかわからないと言う想いが生まれていたのでしょう。
ペドロビッチ監督時代はかなり先発メンバーが固定されていました。
オリベイラ監督も、若手を含めてチャンスを与えた後、先発メンバーはある程度固定されてきました。
ただ、試合では見えないレギュラー獲得の競争は、遥かに今の方が正しく厳しく、それが相手に対する厳しさになって表現されてきたと思います。
その宇賀神選手のワンダフルなゴールで天皇杯を12年ぶりに制し、ボロボロのコンディションの中で勝ち切って見せてくれた2018年のチームは、僕の誇りとなりました。
バックアッパーだけど、チャントも久しぶりに声を出しました。
50周年の最後に、心からそんな気持ちにさせてくれる、本当に素晴らしい試合を見せてもらいました。
楽しみな来シーズン、オリベイラ監督と共に
表彰式の後、「♫赤き血のイレブン ラララ浦和レッズ!」に乗って踊るオリベイラ監督。それは元鹿島の監督ではなく、正に浦和のオリベイラ監督でした。
紛れもないプロフェッショナルな監督、それは頭ではわかっていても、どうしても元鹿島の色眼鏡で見ていた僕への痛烈な反駁でした。
オリベイラ監督、来年も一緒に闘う事が出来るのが楽しみです。
そして、僕は68歳になっても踊れる事を、目標にしよう!
もちろん、69歳でも踊って見せてね♡