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今週の行け麺!「奇珍楼」(横浜・麦田)サンマーメン

誰にでも、車のフロントガラスに流れる景色が好きなルートがあるのではないかと思う。

私にとって関内から根岸に向かう本牧通りもその一つだ。

右に根岸線の高架を、左に横浜スタジアムを見ながら東に進む。

中華街の門を過ぎ高速の高架の下を抜けると、建物の高さが低くなり商店が立ち並ぶ。

間無しに道路は左右の道が二つに分かれ一方向の道となり、その先は山手トンネルだ。

トンネルを抜けるとまた道路は合流し、適度に中華店が存在する麦田の街になる。

合流した少し先の右側に「奇珍楼」の赤い看板が見える。

横浜で100年以上受け継がれたスタイルは、日本の町中華の原点

「奇珍楼」の創業は大正7年(1917年)だ。

店主の黄さんの祖父が広東省から日本にやってきた。

戦前からお店を開いていたと言うことは、中華民国時代に日本に来られたと言うことだ。

当初は本牧小港町にお店を出したが、第二次大戦の戦時統制により昭和17年(1942年)にこの地に移ったと言う。

当時は「手を抜いてはいけない。日本人の好みに合うように作らないと成り立たない。」と言われていたそうだ。

戦後間も無くはそう言われて育った父親の時代だったのかもしれない。

私が子供だった昭和30年代には、中国人店主のラーメン屋が多くあった。

同じ様な気持ちで作っていたのだと思う。

どの店もおいしかった。

そして、そこで働き修行した日本人が、今の町中華の店主達であろう。

そこには「奇珍楼」創業者の言葉が受け継がれている様に思う。

このお品書きを見ただけでおいしくなってしまいます。

横浜市中区発祥のサンマーメン

私が最初に訪れたのは、サンマーメン発祥の店と言う紹介を見たからだった。

実際は「奇珍楼」がと言うよりは、聘珍楼の賄いが広まったと言う、横浜市中区エリアの話のようだ。

中華街を中心にこのエリアは広東省出身の方のお店が多く、餡掛けが甘みを持っているのは広東料理が下地にあることを思わせる

出てきたサンマーメンは、餡掛けが半分スープに沈み、もやし・ニンジン・肉の細切りとナルトの細切りに中華にカットされたイカが顔を見せ、餡掛けの油の溶け具合と共になんとも美味しそうな顔をしている。

この甘い醤油餡掛けの具材が、餡掛けと融合したスープの味を想像させる。

そのスープをまとう細ストレート麺の黄色い輝きが、想像を確信に変える。

このスープを前に、健康の良し悪しを言うのは無粋だ。

広東省にルーツを持つバンメン

そして、もう一つ、このエリアの特徴的な麺料理がバンメンだ。

バンメンはサンマーメン程に世の中に広まっていないが、同じエリアで同じ時期にメニューとして広まったようだ。

バンメンは広東料理の中にモデルがある。

五目の餡掛けを麺にかけて合えるものだそうだ。

これを日本人が好むようにスープ麺にしたのが発祥らしい。

その名残りだろうか、「奇珍楼」バンメンは丼より底の浅い食器が使われている。

出てきたバンメンは豪華である。

海老・イカ・豚肉・白菜・ニンジン・キクラゲ・タケノコなど豪華な具材が餡掛けにされ、醤油スープの麺に掛かっている。

イカやにんじんの包丁の入れ具合が食欲を誘う。

この餡掛けとスープの調和がたまらない。

バンメンについての情報は、こちらを参考にしました。

メンマラーメンとは一線を引きたい、竹の子ソバも一食の価値あり

もう一つ、「奇珍楼」で紹介したい麺が竹の子ソバだ。

極太の支那竹が5本と刻み葱だけの簡素なラーメンだ。

約10日間かけて戻して煮込んだ支那竹、この手間こそが「奇珍楼」の心意気だ。

餡掛け麺が美味しいのは、そもそものスープが美味しいからだとわかる。

さらにもう一つ、醤油仕立てで丼に入ったチャーハンも上手い。

真ん中のエビとグリーンピースが、郷愁を誘う。


横浜100年の華僑の味は日本で生き残る為の英知が注ぎ込まれ、受け継がれてきた。

「奇珍楼」に来ると、子供の頃の郷愁と、町中華の原点を感じることが出来る。



※「奇珍楼」に車で来る時はランチタイムがお勧めだ。
 曜日に関係なく11時から15時まで本牧通りに路上駐車できる。

奇珍楼

ジャンル:ラーメン店
アクセス:JR根岸線石川町駅南口 徒歩10分
JR根岸線山手駅 徒歩10分
住所:〒231-0849 神奈川県横浜市中区麦田町2-44(地図
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情報掲載日:2021年1月18日



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