ラーメンは、時に異様な空間を作り出すことが出来る不思議な食べ物だ。
まだ、インターネットなどない頃に名店を知るには、新聞や雑誌の記事や友人知人の口コミまたは自力で偶然出会うしかなかった。
だから、美味しいラーメン屋を知り誰かに教え、一緒にハマることが今以上に嬉しい時代が確実にあった。
そして、そこには同じような人の人集りが生まれ、それが異様な空間を作り出すのだ。
東京は千駄ヶ谷、建設中の国立競技場周辺は、都心にも関わらずちょっとした住宅地域でもある。
青山通りから国立競技場の前を通り靖国通りに繋がる外苑西通りは、今でも夜は車の通りが多くはない。
暗闇にそびえ立つ国立競技場の前に、煌々と明かりが灯した店頭にはタクシーが並び、男達が群がる黄色い建物、ホープ軒はそんなラーメン屋だった。
昭和の後期に異彩を放った背脂系
ホープ軒が千駄ヶ谷に店を出したのは昭和50年(1975年)だそうだ。
僕が会社に入社し、その時の上司の納品を手伝った帰り、「ラーメン喰っていくか?」と連れて行かれたのが、ホープ軒だった。
当時はまだ夕方からの深夜営業だけで、「ここは夕方からしかやってないからね」と教えてくれたのを、よく覚えている。
昭和55年の事だから、開店して5年目に訪れていた事になる。
豚骨背脂系の元祖的存在のホープ軒、その独特な濃厚感にハマってしまった。
国立競技場でサッカーのナイターがあると、それまでは千駄ヶ谷門から千駄ヶ谷駅で総武線に乗って帰っていたのだが、代々木門からホープ軒経由で原宿駅まで歩く帰宅コースに変わった。
友人を連れていくと、「またあのギドギド行きましょう!」と言われた。
そう、まだ背脂チャチャチャ系と言う言葉も無かった頃、僕達のホープ軒の愛称はギドギドだった。
赤羽橋に支店ができ、当時の活動拠点が近かったこともあり、良く行った時期もある。
そんなホープ軒だが、いつしかあまり足を運ぶ事が無くなっていた。
子供ができたらさすがに子供には無理っぽいとか、赤羽橋ではタンメンの「大宝」を知ってしまったとか、思いつく理由もあるが、いわゆるヘルシー志向でなんとなくと言うのが本音だ。
そして先日、やや遅い時間に跳ねたライブの後、小腹が空いた時に頭に浮かんだのが千駄ヶ谷の光だった。その前に、FaceBookの友人がホープ軒の事を書いていたのも影響していただろう。
外苑西通りの黄色い建物と光は健在だった。
建設中の国立競技場も外観が出来上がっていて、以前は斜め左に見えた建物が目の前にある。代々木門から出たところの道も、駐車場的広場も無くなっている。
店に入ると、アルミのカウンターと厨房も、葱の籠とジャスミン茶が並んで置かれているのも、記憶と変わっていない。
入れ放題の葱、これがないとホープ軒じゃない。
出て来たラーメンは、チャーシューにメンマともやし、そして背脂と変わっていない。
早速、葱を多めに入れる。
麺は自家製の中太麺、今でこそ多くあるが、昭和では珍しい太さだった。
バラ肉を丸めて茹でたチャーシュー。焼豚と言うより茹で豚だったが、これも昭和では斬新だった。
そして背脂。ヘルシーが主流の現在では、許されないスープだ。
僕が好きなのは、ワンタンメン。この肉の香料が癖になる。
胡椒にニンニクに豆板醤、少し胡椒だけで食べて、途中ニンニクを入れ、最後は豆板醤で辛くするのが、僕の食べ方。
もちろん、背脂はジャスミン茶で落とします。
そして、最後は温かいおしぼりで、口の周りの脂を落とし、汗を拭く。
10年以上ぶり、もしかしたら20年近くぶりに行ったけど、昔と変わらぬ手順で食べられたのは嬉しい。
癖になってしまう味は、今でも健在だ。
とは言え、たまに食べるのも悪くない、としておきたい。
東京オリンピックを迎えるに辺り、絶好のロケーションに店を構えるホープ軒。
外国人観光客の方々にも是非食べてもらいたい逸品だ。