今週の行け麺! 山久  自由ヶ丘

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今週の行け麺!
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大晦日に年越し蕎麦を食べる風習は、江戸時代に始まったそうです。蕎麦は他の麺類と比較して切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」と言う意味で食べるようになったと言う。つまり、年越しで食べるのはあくまでも日本蕎麦ということになる。水戸黄門がラーメンを食べたと言う話も伝えられ、江戸時代に比較された麺の中にラーメンも入っているかもしれないが、うどんや素麺と比べても、確かに蕎麦は切れやすい。2012年の調べで大晦日に蕎麦を食べる人は58%近くいて、日本の文化としてしっかりと根付いている。
しかし、我が家では一年の贅沢として大晦日にすき焼きを食べると言う習慣が、50年近く続いている。肉を食べてからさらに蕎麦を食べるのはさすがに苦しく、残念ながら、残りの42%に属している。
ならば、前日に食べてしまおうと言うことで、マスターの手打ちの蕎麦が絶品の自由が丘「山久」さんに行くことにした。

マスターの拘りが作り上げた手打ち蕎麦の世界に浸る

「山久」さんは自由が丘の駅から歩いて5分、東急ストアの裏の自由が丘から奥沢へ向かう道沿いにある。江戸時代の蕎麦屋ではないかと思う古風な佇まいと提灯が目印だ。昨日お伺いした時はマスターは不在だったが、程なく来られて奥のカウンターの中に座られる。映画「男はつらいよ」で寅屋のおいちゃんが座っている位置だ。店全体を見渡し、もちろん、お勘定もそこで行う。
マスターの山田さんは元三菱重工サッカー部のゴールキーパーだった方だ。僕が山田さんのサインもある家宝の1969年三菱重工サッカー部の寄書き色紙を持って行くと、息子さんに自慢して見せていた。当時の三菱には日本代表のゴールキーパーだった横山さんが所属していて、山田さんが日本リーグでスタメンを取るのは厳しかったけど、控えの12番としてその存在は記憶していたので、「山久」さんを知った時はとても嬉しかった。

「山久」さんは、日中は美味しい蕎麦ランチの店だ。



そして、夜は御多分に洩れず、美味しいお酒と肴とお蕎麦の店になる。
そしてその一つ一つに拘りを感じることができる。
お通しはカニに豆菓子と卵焼きの三品が並ぶが、卵焼きは切子のグラスに入っている。

刺身盛りなどのメニューはないのだが、この〆鯖がそれだけで充分満たしてくれる。

茄子と豆腐の揚げ出しは、大きな茄子と揚げ出しがしっかりと煮込まれ、その煮込み汁に蕎麦つゆへの期待感をもたらしてくれる。

チャンジャのクリームチーズのせは、チャンジャとクリームチーズの融合が美味しいことを教えてくれた。

カリカリごぼうは、やや無造作とも思える太さのごぼうが、歯ごたえと真までの柔らかさを併せ持った絶妙さと、塩だけのシンプルな味付けにごぼう本来の美味しさを楽しめる。

山芋の磯辺巻きは、擦った山芋を揚げて磯辺巻きにされていた。濃口醤油が垂らされていて、海苔の風味に全てを調和されていた。

程なく来られた奥様から、砂肝のカレー風味煮・沢庵といぶりがっこ・いぶりがっことレバーペーストのディップがサービスされ、その味とともに心も満たされる。

そして、〆はマスター手打ちの藪蕎麦だ。


田舎蕎麦もお勧めだが、数量限定なので夜にありつけたらかなりの幸運と言える。
「山久」さんで教わった食べ方が、梅塩(うめしお)を蕎麦に振る食べ方。
新蕎麦の季節の今、蕎麦の香りと味を楽しむのに、この梅塩はいけている。

僕は残念ながら下戸なので楽しめませんが、お酒関係も充実している。
日高見・神亀・豊盃・田酒などの純米酒・南部美人・くどき上手などの純米吟醸、中々・佐藤・百年の孤独などの麦焼酎、宝山・喜六 ・ひとり歩きなどの芋焼酎に泡盛も置いてある。
昔は浦和の涙も置いてあった。
酒好き・蕎麦好きを堪能させてくれることは確実だ。

帰り際、マスターが「この間、大仁が来たよ」と教えてくれた。大仁邦彌日本サッカー協会名誉会長だ。ここは山田さんが先輩、地位がなんであろうと後輩は呼び捨てなのだ。
美味しい蕎麦を頂き、懐かしいサイドバックのお名前も聞けて、昔より夜が長くなった自由が丘の街を離れた。

山久 (さんきゅう)
東京都目黒区自由が丘1-7-3 自由が丘第一マンション1F
03-5701-1180
11:30~14:00 18:00~22:00(L.O.21:30) 蕎麦がなくなり次第閉店。
定休日:火曜日

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