感動の余韻で振り返る 浦和レッズ天皇杯優勝史

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タク
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こんにちは!

アクティブなシニアライフを一緒に楽しむ情報提供をしているタクです。

2021年12月19日、浦和レッズ天皇杯優勝!レッズサポーターの皆さん、やりましたね!

浦和レッズにとって8回目となる天皇杯優勝、前進の三菱重工サッカー部時代から応援している僕にとっても8回目の優勝となりました。

過去7回の優勝の記憶を辿りながら、8回目の優勝を記したいと思います。

勝ち残ったチームだけが味わえる日本一を決める大会

天皇杯サッカー全日本選手権は不思議な大会です。

各県の予選を勝ち抜いた県代表47チームにアマチュアシードが1チームに、J1・J2の42チームを加えた90チームが参加するトーナメントです。

本大会は90ですが、予選を入れたら今年も1000を超えた参加になっていると思います。

これだけの参加チームの大会は、サッカーだけだと思います。

Jクラブの無い我が街のチームでも、日本一になる可能性もある大会です。

本来は1月1日に決勝が行われていますが、今年は来年1月にW杯予選がある関係で12月19日が決勝となりました。

12月4日にJリーグが閉幕し、その後に準決勝と決勝が行われました。

リーグ戦が終わってから、4チームがまだ公式戦を残していたわけです。

幸いにも、我が浦和レッズは残っていましたが、早々と負けたシーズンでは、「ああ、天皇杯やってるなぁ」と言う大会で、決勝は元旦のまったりテレビ観戦であったりもします。

しかし、我がクラブが残っていたら、シーズンは終わりません。

天皇杯に優勝すると、翌年のアジアチャンピオンズリーグの参加権が得られます。

俄然、燃える年末になるのです。

そして、準決勝のセレッソ大阪戦に勝利し、決勝の新国立競技場に駒を進めました。

単独チームでは最多の8回目の優勝

浦和はこの大会前まで7回の優勝を飾っています。

Wikipediaによると9回の慶応に次いで 横浜Fマリノス・関学とならんで優勝回数は2位でした。

慶應や関学は大学のサッカー部としてその回数を優勝した訳ではなく、OBも含めた全慶應やオール関学などが含まれています。

今回の優勝で浦和は慶應と並ぶ8回目の優勝と言う報道もありました。

実際、慶應大学にどこまで含むかと言う事だと思います。

ちなみに、慶應義塾体育会ソッカー部としての優勝は1回です。

ただ、それも日本サッカーの歴史の中で刻まれて来たことです。

今回の優勝で8回となった浦和も、前身の三菱重工が4回、浦和レッズになって4回の優勝ですが、単独チームでは横浜Fマリノス(日産自動車含む)を抜いて1位となりました。

三菱の天皇杯初優勝は1971年

三菱の最初の優勝は1971年でした。

対戦相手は釜本邦茂さん率いるヤンマーでした。

当時の三菱とヤンマーの試合は、杉山隆一さんと釜本邦茂さんの2大スターが激突する、ゴールデンカードと呼ばれてました。

この年の日本サッカーリーグで、ヤンマーは初優勝を飾り、釜本さんは得点王を獲得しました。

三菱は勝点4差(当時は勝利2引き分け1)の2位でした。

1965年に日本サッカーリーグが発足後、天皇杯は日本サッカーリーグ上位4位と大学選手権のベスト4の8チームでのトーナメント大会になっていました。

1972年に天皇杯がオープン化されましたので、この8チーム参加型の最後の大会になりました。

1969年に三菱が日本サッカーリーグに初優勝した時、天皇杯は決勝でヤンマーに敗れ二冠を逃すと共に、ヤンマーに初優勝を許しました。

リーグ戦の雪辱を図るために、そして2年前のお返しとの思いで国立に向かった記憶があります。

そして、後の日本代表監督になる二宮寛監督は、この試合で奇策を打ちます。

当時の三菱で一番長身でヘディングの強いハーフバックだった落合弘さんをストッパーに起用して、釜本さんのマンマークを任せたのでした。

落合さんは持ち前のフィジカルと読みの良さで、釜本さんに付き纏い仕事をさせません。

三菱は3−1で完勝し、天皇杯に初優勝します。

ただ、仕事をさせなかった落合さんでしたが、ヤンマーの1点はコーナーからの釜本さんの豪快なヘディングでした。

ジャンプして上半身が反り返って首を横に振り抜くヘディングの基本がはっきり見えた、落合さんに完全に競り勝った意地の一発でした。

三菱の3点は記憶にありませんが、あの空中浮遊した釜本さんのゴールは今でも忘れられません。

1973年には落合さんは完全にストッパーやリベロにコンバートされました。

その後、日本代表にも選ばれキャプテンにもなり、今は浦和の子供達にサッカーを教える、ハートフルクラブのキャプテンをされています。

二宮さんのコンバートが無ければ、「知ってますか?私は日本代表のキャプテンだったんですよ」で始まるあの最初の講和は、成り立たなかったかもしれません。

天皇杯を受ける片山洋キャプテン(JFAのサイトから引用しました)
天皇杯初優勝の三菱イレブン 片山洋さん、横山謙三さん、瀨木谷弘三さん、大久保賢司さん、大仁邦彌さん、森孝慈さん、落合弘さん、足利道夫さん、細谷一郎さん、高田一美さん、高橋公平さん、杉山隆一さん。名前を打つだけで泣けるメンバーです。「必勝三菱サッカー」の弾幕の上に僕がいるはず。「日本サッカーアーカイブ」から引用しました。

杉山さんの引退を飾る1973年の優勝

2度目の優勝は73年、日立との対戦でした。

この試合は三菱のスタープレーヤー杉山さんの最後の試合となりました。

日本リーグも制していた三菱は、杉山さんの花道を飾ろうと、二冠にチャレンジします。

試合は三菱が攻勢で2点をリードするも、後半は1点を返され日立に押され続けます。

その日立の攻勢を、杉山選手も必死のクリアで防いでいきます。

試合後、二宮監督が「杉山をトップに置いたらあそこまで押し込まれなかっただろう。しかし、杉山と一緒に守ろうというチームの気持ちを崩さない方が良いと思った。」とコメントされたのを読み、涙したのを覚えています。

日立との決勝で、ドリブルする杉山隆一さん。この方がいなかったら、僕はここまでサッカーにハマらなかっただろう。この頬をすぼめいた半開きの口は、トップスピードになる時の表情。真似しました。僕の永遠のNo1プレーヤーです。(サッカーマガジンWEBから引用しました。)

1978年はリーグ・リーグカップ・天皇杯の3冠を達成

次は1978年です。

この年は、日本リーグ・JSLカップ・天皇杯の3冠を制した年です。

二宮監督が日本代表の監督になり、長く日本代表のゴールを守った横山謙三さんが監督になっての初栄冠でした。

この年の途中で、伝統の青い襟付きユニフォームを赤に変えました。

今のレッズに繋がる改革がなされた年を3冠で飾ったわけです。

GKの田口光久さん、DFの落合さんに斉藤和夫さんの堅守と、藤口光紀さん・加藤光雄さん・高原郁夫さんのカウンターが噛み合っていました。

決勝の相手は東洋工業、今のサンフレッチェ広島です。

YouTubeにアーカイブがありました。

杉山さんの11番を引き継いだ、元浦和レッズの社長藤口さんが活躍しています。

三菱時代最後の優勝となった1980年

1979年はリーグ戦7位と低迷、天皇杯は決勝に進むもリーグ優勝のフジタに敗れ準優勝に終わりました。

1980年はリーグ4位とやや復調し、天皇杯は3年連続決勝へ進出、対戦相手は2部で6位、東洋工業・読売クラブとPKで勝ち抜いてきた田辺製薬との対戦となりました。

GKの田口さん、DFの落合さんに斉藤さんは健在で、帝京高校からの新人コンビの名取篤さんと川添孝一、長尾昇さん、尾崎加寿夫さんらが活躍しました。

2部相手なので楽勝かと思いましたが意外に苦戦して、1−0の勝利でした。

数々のタイトル獲得に貢献した落合さんの、最後の優勝となりました。

こちらもYouTubeにアーカイブがありました。

チアリーダーなんていたんだなぁ。

2005年、真のプロフェッショナル、マリッチの大会

そして、2005年、浦和レッズとして初めて、三菱時代を含めて25年ぶりに天皇杯の決勝に駒を進めました。

四半世紀もの間、どうでもいい正月を迎えていたんですね。

ただ、Jリーグ開幕前年の1992年は、準決勝に進み国立で読売クラブと戦い、惜しくもPKで敗戦しました。

試合内容だけでなく、バックスタンドにたなびく多くの赤いフラッグが、人気の読売を包み込む感じが印象に残りました。

この時は、Jリーグ開幕に期待を持ったんですけどね。

2005年の決勝の相手は清水エスパルス。

そして、なんと言ってもこの大会は、マリッチの大会でした。

ポンテと共にやって来たマリッチですが、最初はスルーパスに走るスピードの無さに失笑されたりもしました。

比較の相手がエメルソンだったので仕方がなかったのですが、ポンテを先生に点で合わせるマリッチの点の取り方をチームが理解すると、その良さを発揮しゴールを量産しました。

特に天皇杯は全試合にゴール、決勝では長谷部→ポンテ→赤星ワンツーでポンテのクロスに合わせてシュートと5本のダイレクトで素晴らしいゴールを決めました。

契約満了が決まっていたのにこの活躍、真のプロフェッショナルです。

もう一つ、先制ゴールを決めた堀之内聖さん、CKからヘディングシュートが弾かれて、再びサイドからのクロスに、一度戻って立ち位置を整えて飛び込むセンターフォワード並みのヘディングシュートだった事を記しておきます。

この時の清水のGKは西部洋平選手、16年経った今年、富山のGKとして天皇杯で対戦したのは感慨がありました。

忘れられないのが試合後です。

真のプロフェッショナル、マリッチを讃え呼び出す「マーリッチ!」コール。

国立の観客の半分以上は残っていたと思います。

何度も「マーリッチ!マーリッチ!マーリッチ!」と繰り返されるコールは30分くらい続いたでしょうか。

再登場したマリッチを迎えた時、国立は浦和になっていました。

2006年は監督ギド・ブッフバッルトの最後の試合

続く2006年、国立での準決勝は宿敵鹿島アントラーズでしたが、小野伸二選手のゴールで先制、同点に追いつかれるとポンテさんのゴールで2−1で撃破。

試合後、「♪もういくつ寝るとお正月、お正月には国立でガンバ大阪倒しましょう!早く来い来いお正月」の大合唱を鹿島サポに浴びせたのは、忘れられません。

この年は、浦和レッズとしてリーグ戦に初優勝した年です。

順調に初制覇に向けて進んだリーグ戦とは違い、結果的には3−0になりましたが、アビスパ福岡との5回戦は延長に、続く準々決勝のジュビロ磐田戦は3−3の末にPK戦に入り、10−9と10人が蹴り合った上での勝利と、苦戦の連続の上の決勝進出でした。

そして、元旦の決勝も苦戦しました。

相手は最後までリーグ制覇を争ったガンバ大阪です。

ただ、この苦戦を乗り越えて来たのは、この年で退任するギド・ブッフバルト監督への花道にしたいというモチベーションがあったからだと思います。

ガンバのシュートは21本、リーグでは控えに回ることが多かったGKの都築龍太さんが跳ね返しました。

そして、長谷部誠選手が縦に付け、岡野雅行さんがサイドを駆け抜けセンタリング、ガンバのDFに当たったのですが、走り込んだ永井雄一郎選手の前に溢れて見事なゴール。

この時の解説の原博実さんは「永井がよく入ったね」とフォワードを褒めると、すかさず木村和司さんが「長谷部のパスも良かったですよ」と中盤を持ち上げる、いい解説コンビネーションでした。

小野選手・ポンテ選手やっぱり上手過ぎます。このVで好きなのは、ジュビロ戦のPKで最後相手が外して勝った時、喜び集まる味方に「俺、止めてへん。向こうが外しただけや」と言う感じで対応する都筑さんです。翌年は、大事なところで止めてくれました。

試合後、今年はギドコールです。

「ギド!ダンケ!ギド!」この年も長く続きました。

2冠を残して退任したブッフバルト監督、またもや国立は浦和になりました。

オリベイラ監督の見せた勝つサッカーを見た2018年 

その後浦和は2015年に決勝進出するもガンバ大阪に敗れ準優勝に終わりました。

この時は味の素スタジアムでの決勝戦でした。

そして2018年、オリベイラ監督の元、一発勝負のトーナメント戦に強さを発揮し、決勝に辿り着きました。

ベガルタ仙台との決勝戦は2018年12月9日、会場は浦和のホーム埼玉スタジアムでした。

試合はCKからのクリアが宇賀神ゾーンに溢れ、宇賀神友弥選手が見事にゴール。

この1点を守り切り、優勝しました。

リーグ戦があった中、きっちりとトーナメントに合わせて仕上げていくオズワルト監督、スタイルとか戦術ではなく勝ちに行く戦い方の凄さを見た大会でした。

この年は僕が初めて三菱の試合を見てから50年の、個人的な記念の年。

50年を飾ってくれる優勝でした。

その時、こんな記事を書いています。

初優勝から50年 2021年 101回大会決勝

そして今年2021年、浦和は3年ぶりに決勝に進出しました。

15年・18年・21年と決勝進出、いいペースですね。

2回戦はカターレ富山に、3回戦はSC相模原に、4回戦では京都サンガに、いづれも1−0の辛勝で準々決勝に進出。

アウエーとなったガンバ大阪との準々決勝は、ユンカー選手と関根選手のゴールで2−0で快勝。

準決勝は埼玉スタジアムでセレッソ大阪と対戦。

宇賀神ゾーンから宇賀神選手の先制と終了間際の小泉選手の個人技からゴールで2−0で決勝に進出しました。

新国立競技場は憧れのウエンブレーのようだったけれど・・・

決勝は新国立競技場、浦和にとっても、僕にとっても初の新国立でした。

旧国立は信濃町の駅からライトの鉄塔が見えて、あそこに向かうぞという感じがあったのですが、新国立は近くまで行かないと存在がはっきりしなかったです。

信濃町から外苑に向かう道、鉄塔がないのは寂しい?

とはいえ、間近になるとその姿は勇壮です。

会場内の人の誘導も今ひとつで、「最後尾」のプラカードを持っている人に「最後尾はこの先です」と告げられる始末。

1階に入るとコンコースや階段は広かったですが、座席の通路や座席そのものは明らかに狭かったです。

ただ、客席を覆う屋根から楕円の空が見えるのは、サッカーの聖地と言われるイングランドのウェンブリースタジアムが、まだウエンブレーと紹介されてた頃の昔のスタジアムの映像が、思い出されます。

3階縦のスタンドもそんな雰囲気です。

サッカー専用スタジアムではありませんが、憧れの聖地に足を踏み入れた感覚に浸ります。

2007年の初出場初優勝以降、アジアチャンピオンズリーグに7回出場、2017年には2度目の優勝を飾っているアジアの戦いの場への復帰は、浦和3ヵ年計画2年目の目標であり、サポーターの宿願です。

リーグ後半は3位を目指すも6位で終了、しかし、天皇杯は前記の通りに勝ち進んできました。

決勝に勝てば、タイトルと共にアジアの切符を手に入れられます。

大分トリニータに過去の大会を思い浮かべた

対戦相手は大分トリニータ。

川崎フロンターレとの準決勝を延長の土壇場で追い付きPK戦を制して勝ち上がってきました。

正直、リーグ戦の成績からも川崎が決勝の相手と予想していただけに、川崎よりは組みしやすいと思いましたが、読売クラブにPK勝ちして上がってきた田辺製薬との苦戦した試合も、頭を掠めます。

早い時間に浦和が先制

試合は前半6分に動きました。

左サイドの小泉選手が右サイドまで動き関根選手と共にサイドを崩します。

ちょっとしたコンタクトには笛を吹かない主審の荒木さんですが、6分の間に確認もできていたのでしょう、右サイドを崩していく小泉選手が取られそうなボールをコンタクトから奪い返して関根選手に繋ぎます。

関根選手は深く入り込み、鋭角に中央に戻すと、フリーの江坂選手がゴール!

大事な試合に早い時間の先制をした浦和は、攻勢をかけるよりも、大分にポゼッションを譲り、要所を占める感じで推移させていきます。

大分自体は浦和にボールを持たせながら隙をつく作戦だったかもしれませんが、逆になり効果的な攻めもできないまま前半が終了します。

後半になると大分は下田選手の位置を下げて、そこからの展開を浦和の別所出身の町田選手に繋ぎ、ビルドアップを仕掛けてきます。

二人の組み立ては効果的ではありましたが、浦和もしっかり対応していきます。

浦和が残念だったのは後半25分、抜け出した江坂選手が大分GKの高木選手と1対1になったのですが、防がれてしまいました。

これが決まってたら、楽だったのですが・・・・

功を奏した片野坂采配

大分は終盤、長身の選手を投入し、パワープレー体制を引きます。

浦和も槙野選手を入れ、逃げ切りの5バック体制にします。

しかし、45分、下田選手のクロスになだれ込んだ大分の選手の中で、ディフェンスのペレイラ選手がヘディングで押し込み同点に追いつきます。

この一連のプレー、元はハーフラインから少し入った左サイドでのフリーキックからでした。

最初は下田選手が直接ゴール前に入れる感じでしたが、GK高木選手がボールに近づき、下田選手は左に流れパスを受け、縦に付けた折り返しを受けてのクロスでした。

ゴール前に直接入れられることに対応してただけに、この動きへの対応が僅かに遅れたところが、最後、ファーで1枚余らせてしまった要因になったと思います。

片野坂監督、大分コーチングスタッフが、ゴール前の緩いクロスに浦和のGK西川選手が出てこない事も見抜いていたのかもしれません。

角度を消す為に前に運ぶことも、デザインされていたかもしれません。

敵ながら、見事なゴールでした。

同点になり、大分がPKで勝ち上がった準決勝のことが脳裏をよぎります。

しかも、守備的にした浦和と攻撃的にした大分で、残り時間を戦うことも気がかりです。

アディショナルタイムに筋書きにあるようなドラマが展開される

4バックに戻して、槙野選手をフォワードにする手はあるなと思いましたが、キックオフの陣形ではセンターバックの位置にいます。

延長かなと覚悟しましたが、右サイドに入った大久保選手が大分サイドに入ったことろでファールを受けます。

これで今度は浦和がゴール前に圧をかけます。

しかし、大分も高さはあるので跳ね返します。

そこから左サイドに大久保選手が深く入り上げようとしたクロスを、町田選手がカットしてコーナーキックを得ます。

大久保選手が左足インスイングで入れましが、大分GK高木選手がパンチングでクリア、そのボールの先には浦和の柴戸選手が走り込みます。

今年一年で成長著しかった柴戸選手のボレーは低くゴールに向かいますが、ここでリフレクションしてゴールに吸い込まれます。

とりあえずボールがネットを揺らしたので、「やったー!」と叫びます。(心の声が空気を揺らしたかもw)

最初は、頭を抱える大分のペレイラ選手を見て、彼に当たったのかなと思いました。

しかし、異様に喜ぶ槙野選手がユニフォームを脱いでゴール裏に走ります。

ビジョンのリプレイを見ると、槙野選手がヘディングしていました。

槙野選手本人もインタビューで言っていましたが、本来は1−0で終わらせるのが役目として入ったのですが、失点をカバーする得点で最後は持っていきました。

まずは、あの位置からのボレーを抑えてシュートした柴戸選手が素晴らしかったです。

あのままでも入ったのかどうか、知りたい気持ちもあります。

そして、そのシュートをコースを変えて、これもまたゴールの枠内に抑えてヘディングした槙野選手も見事でした。

物語でも恥ずかしくて書けないような出来すぎたシナリオが、目の前で展開されました。

3ヵ年計画2年目の目標を達成!

ロスタイムの決勝点で歓喜の瞬間ですが、無防備に喜びすぎるのには慣れていません。

一応、敵陣にいるので安心ですが、戻り方によっては不安も残ります。

とりあえず誰かセンターサークルに入ったままでいてくれと思って見てましたが、大分はそこまでは狡猾ではなかったですね。

パワープレイを仕掛けてきましたが、岩波選手が跳ね返し、余計なファールも気をつけて残り時間を消化しました。

2021年、目標達成の瞬間を迎えました。

アジアチャンピオンズリーグはJリーグ3位では予選からの参加で、本戦出場は確定ではありません。

本戦出場で目標達成できたのは、素晴らしい成果です。

表彰式ではキャプテンマークを巻いた槙野センスと宇賀神選手が天皇杯を掲げます。

引退した阿部勇樹選手も掲げます。

最後は阿部選手を胴上げに続いて、リカルド・ロドリゲス監督も胴上げです。

でも、この伸び切り方はちょっと危なさそう。

そして、ひとしきりの優勝儀式の後、1億5千万円と共にボールとクーラーボックスを片付ける鈴木彩艶選手。

用具係もいると思いますが、最年少選手がちゃんと仕事をする、こういうシーンにチームが更に強くなる可能性を感じます。

対戦相手の大分も素晴らしいチームでした。

毎年良い選手を引き抜かれていく中、J3からJ2・J1と昇格に導き、全6シーズン、J1で3シーズンを闘った片野坂監督の手腕は、手強さを十分に感じました。

来年指揮を取るガンバ大阪も古巣でもあるんですね。

来年の対戦が楽しみです。

また、大分も下平監督を招聘し、大きな路線変更はないと思われ、下田選手も町田選手も残っているので、1年での復帰も十分あると思います。

来年も注目したいと思います。

残念ながら、マリッチやギドのような、阿部選手や槙野選手・宇賀神選手との惜別の儀式はできませんでした。

しかし、最後は新国立競技場も浦和になりました。

タク
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3ヵ年計画の3年目の目標はリーグ優勝。

アジアチャンピオンリーグと合わせて闘うことと共に、ワールドカップのためにかなり圧縮したシーズンの中での目標です。


1年目は大丈夫か?と思いましたが、2年目はしっかり目標達成、となると、3年目も期待してしまいます。

シャーレも欲しい!



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