西野監督に感じる、100年を超える浦和サッカーのDNA。いざ、ポーランド戦!

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今夜はワールドカップグループリーグH組の最終戦を迎えます。
2大会ぶりの決勝トーナメント進出、決めて欲しいですね。
大会前はネガティブに見られていた西野監督も、一気に時の人になっていますが、僕なりに西野監督について書いて見たいと思います。


自分達のサッカーの誤解

2度リードされたセネガル戦で同点ゴールを決めた本田選手、その試合後の言葉に今回の日本代表がここまで好成績でこれた理由が明かされています。
ザッケローニ監督の元、日本らしいパスを展開するサッカーで世界を目指したブラジル大会の日本代表。その時よく耳にしたのは「自分達のサッカー」という言葉でした。
この「自分達のサッカーで勝つぞ!」という言葉は、高校サッカーのいいなtビューでもよく聞く言葉ですが、僕はこの「自分達のサッカー」という言葉に疑問を持っていました。
セネガル戦の後、本田選手はこのような趣旨のことを語ったそうです。
「ブラジル大会と比較すると、明らかに違うのは自分達ありきから相手ありきになった。じゃんけんに例えれば、チョキを出されるとわかっていて、なんでパーにこだわる必要があるのかという話だ」
これは、正に、僕の「自分達のサッカー」に対する疑問に対する答えです。
「自分達の良さを出す前提で、相手のいいところを消すサッカーをする」
今の日本代表はこれが出来ているのでうまく行っていると本田選手は語っています。

実はこれは8年前の南アフリカ大会でも実施されたことでした。
当初、岡田監督は「世界を驚かせるサッカーをする」と豪語していました。
しかし、大会前に一気に守備的にチームを変えて、結果、ベスト16でPK戦負けというところまで行きました。
守備的に変えたのですが、相手のいいところを消して、自分達の良さを出して行ったと思います。
4年前の失敗を挟み、日本代表は日本代表の戦い方を手にすることができたのかもしれません。

その大きな要因は、西野監督にあると思います。
このところ、連日テレビに登場するのは、アトランタオリンピックの伊東選手のブラジル戦のゴール。
この時、若いGKとベテランセンターバックの連携に問題あり分析されていたんです。
なので、あのゴール前の放り込みもその分析下に行われ、防戦一方の展開の中、3人位の選手が詰めて行ったのです。

西野監督が育ったサッカーの街浦和

西野監督はサッカーの街浦和に生まれ育ちました。
1908年に当時の埼玉師範学校(現埼玉大学)に赴任した細木志朗先生が生徒にサッカーを教えました。
その生徒が先生となってサッカーを教えて行ったことにより、サッカーの街浦和が誕生したました。
全国高校サッカー選手権では、1951年に浦和高校が選手権に優勝後、54年55年と浦和高校、56年に浦和西高、59年60年64年と浦和市立、そして69年永井良和選さんの浦和南、72年に清水秀彦さんの浦和市立が全国制覇を遂げました。そして、73年に西野監督がいた浦和西高で全国高校選手権に出場しました。
この当時は、「浦和を制するもの全国を制す」とまで言われていました。
この言葉のすごいところは、埼玉県ではなく、その中の一つの市である浦和を制することが、全国制覇になるとまで言われていたことです。
ちなみに、浦和西高は漫画「エースをねらえ!」の山本鈴美香さんの母校でもあり、漫画で描かれた学園風景は正に浦和西高のものです。

高校時代の西野監督に魅せられた僕

西野さんは僕の一つ上の年代です。
東京のしがない高校でサッカーをしていましたが、顧問の先生が早稲田大学で春の早慶定期戦のチケットを斡旋されていました。1年の時は行かされましたが、2年の時は1年が行くので行かなかったのですが、3年の時は「西野を見に行こう!」と国立に行ったのを覚えています。それだけ、優勝はできませんでしたが、選手権での西野さんの活躍は記憶に残るものでした。
大学時代から日本代表に選ばれて、確か「日本のクライフ」とも言われていたと思います。しかし、日本リーグの日立(現柏レイソル)に入ってからは、代表からも落ちてしました。年齢的には、ロス五輪予選、メキシコワールドカップ予選の日本代表にいてもおかしくなかったのですが、その後の85年に日本リーグの連続得点記録を作るなどはありましたが、記憶からは薄れていました。
そして、次にその名を注目したのは、アトランタオリンピックアジア予選の監督をされたことからでした。
その後の指導者としての実績は、今や様々なところで語られています。

西野監督に宿る浦和サッカーのDNA

ただ、そこで思い起こすことは、浦和のサッカーに関わる方達から聞いた浦和のサッカーの話です。
僕の聞いた話をまとめると、浦和のサッカーは「勝つために知力を尽くすサッカー」と言うことです。「勝つため」にどの様に戦うかを考え実行すると言うことです。
そう、今ロシアで展開されている日本代表のサッカーには、どこか浦和のサッカーのDNAを感じるのです。
そのサッカーを身をもって体験した西野監督に染み付いているのかも知れません。

それは、正にアトランタでも、その前の28年ぶりにアジアを勝ち抜いた五輪予選でも繰り広げられていました。
もちろん、柏・ガンバ大阪・神戸・名古屋とJリーグで采配を振るっていた時は、浦和レッズに向けられていました。
ガンバ大阪時代に西野監督は浦和に試合に来ると、浦和の名物「鰻」をチームで食べていたそうです。
「浦和を喰う」と言う縁起担ぎもあるかも知れませんが、浦和育ちの西野さんが単純に食べたかったのかなとも思います。
そして、今回も同行している西シェフは「鰻」メニューも出しているそうです。

浦和を制するもの全国を制する、そんな時代を過ごした西野監督に宿る浦和サッカーのDNA、勝つために知力を尽くしたサッカーの展開を期待して、今日のポーランド戦を楽しみたいと思います。

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