死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選 Vol.3 伊勢正三

スポンサーリンク
MUSIC
この記事は約6分で読めます。
Pocket

「死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選」Vol.3は、その立ち位置は日本の叙情派フォークの第一人者とも言える伊勢正三です。
私の音楽の好みの変遷を辿る上で、伊勢正三の音楽性の変革にとても影響を受けました。
今回はその辺りをご紹介しながら、AORな伊勢正三をご紹介します。(文中敬称略)

叙情派フォークの雄、伊勢正三

前回、加藤和彦編でも辿りましたが、1970年、日米安保条約が自動延長される中、それまで一つの流れであった反戦フォークソングが下火となる一方、反戦というより「LOVE & PEACE」をメッセージとしたフォークソングが流行し出します。
フォーク・クルセイダーズや森山良子・ビリーバンバン・はしだのりひことシューベルツなどの曲がヒットしはじめました。
そして、フォークソングは商業ベースに乗り、さらに大衆化されて行きました。
私も、「戦争を知らない子供たち」からジローズ・杉田二郎や赤い鳥、オフコースなど聴いていました。
この辺りは、TBSラジオのヤングタウン東京と言う番組の影響です。
そして、「結婚しようよ」の吉田拓郎、「神田川」のかぐや姫なども、ヒットとともに聴いていました。
四畳半フォークなどというジャンルもありました。
「神田川」はその代表曲ですが、実はさらに狭い「三畳一間」でしたね。
ヒットした「神田川」の後、かぐや姫はメンバー3人の個性をそれぞれに出したアルバム「三階建の詩」をリリースしました。
それまで歌詞を担当していた伊勢正三が、初めて作詞作曲の上に歌った「22歳の別れ」と「なごり雪」が収録されています。
四畳半と言う貧しさに郷愁の心情を重ねたところから、もう少し現在の生活感情に合わせた心情を歌う叙情派フォークの、今でも歌い継がれる代表曲となりました。

風で広げた音楽性

かぐや姫解散前に猫の大久保一久とフォークデュオ「風」を結成した伊勢正三は、ヒットが約束された「22歳の別れ」でデビューしました。
2枚目のアルバムまでは叙情派路線を踏襲しましたが、3枚目のアルバム「WINDLESS BLUE」で大変身を遂げます。
私も当時は大学生年代になり、フュージョンやブラックコンテンポラリーをかじり始めていた中、「WINDLESS BLUE」からシングルカットされた「ほおづえをつく女」をラジオで聴きとても気に入ってしまいました。
私が初めて買った「風」のアルバムは、「WINDLESS BLUE」でした。
そして、音楽雑誌の記事で、伊勢正三はSTTELY DANの影響を受けて「ほおづえをつく女」を作ったと知り、STTELY DANを聴く様になりました。
「ほおづえをつく女」と2曲目の大久保和久の「夜の国道」のベース は、正にSTTELY DANでした。
「ほおづえをつく女」は、ロック系の雑誌で有名な評論家から、「このような曲がロック系ではなくフォーク系から生まれた事は残念だ」と言う最上級の賞賛を受けた事を覚えています。
風の変化は、4枚目のアルバム「海風」でも、さらに続きました。
タイトル曲の「海風」は、メロディとそれに合わせた歌詞・編曲と全てのクオリティが高く、今でも私は日本の歌入フュージョンとしてベストだと思っています。
今、「22歳の別れ」の次に「海風」を流したら、なんと言う曲の構成だと言われても、同じグループの曲とは思わないでしょうね。
さらに「風」の最後のアルバム「MOONY NIGHT」はポップにまとまり、当時の言葉で言えばサウンド志向、その後の言葉で言えばAOR的な仕上がりを見せました。

ソロになり、正やんから伊勢正三に

風解散後1980年にソロアルバム「北斗七星」をリリースしましたが、路線はやや叙情派寄りに戻った感がありました。
この辺りは、「かぐや姫」・「風」と所属していたレコード会社の意向もあったのかもしれないと思っています。
その後、レコード会社を移った1981年は半年間に2枚のアルバムをリリースしましたが、曲調はメロウなサウンドに戻りつつある中、方向性を模索している感じもしました。
そして1982年、プロデューサーに小倉エージを迎え発表した6曲入りのミニアルバム「Half Shoot」は、一段アップした完成度を見せてくれます。
岩倉健二が率いる「First Brand」をバックに入れ、打ち込みも取り入れました。
6曲と言う曲数ですが、叙情派時代から聴いている人に応える曲調が姿を消し、全体がポップな構成になりました。
何より歌い方に力強さが加わり、歌詞も直線的になり、それまで呼ばれていた正やんから、伊勢正三になった感じがしました。
この辺は、プロデューサーを立て、第三者の立場からアーティストとしての伊勢正三を表現したことの成果だと思います。
そしてその翌年にリリースされたアルバムが今回紹介する「ORANGE」です。

AORを追求したキャニオンレコード時代の最高傑作「ORANGE」

「ORANGE」のリリースは1983年5月21日、「Half Shoot」から9カ月後です。
再びプロデューサーに小倉エージを迎えていますが、伊勢正三にとってこの共同作業は大きな刺激になっていたのではないかと思います。
アレンジャーには「MOONY NIGHT」で3曲担当したキーボードの佐藤準を起用、林立夫・今剛・松原正樹・斉藤ノブのパラシュート勢、ベースには「風」時代からバックを務める岡沢茂、さらにギターに鈴木茂など、一流スタジオミュージシャンとともに、今聴いても色褪せない素晴らしい演奏を残してくれています。
曲調はソロになってからの集大成的なメロウでメロディアスな曲や、ややロック調の曲に、前作から続く力強くパーカッシブなボーカルがのり心を打ちます。
詩的には、男女の悲哀と情景を組み合わせた、大人の叙情派と言うか映画を見ているようにシーンが浮かんできます。

全体的には、キーボードベースのアレンジですが、日本を代表する4人のギタリストも聴かせてくれます。
とは言っても、曲ごとのクレジットはないので勝手な想像ですが、「Tonight Tonight」のギターハモは今剛と松原正樹だろうなとか、「シャワー・ルーム」のアコースティックギターは伊勢正三自身だろうな、「青い10号線」のソロは鈴木茂かなと思って聴いています。
そして、このアルバムで一番好きな曲「Orage Grove」でのファンキーなカッティングギターは、間違いなく今剛だと思います。
今剛のカッティング、うますぎる。
次作の「HEARTBEAT」も、どちらを選ぶか迷うアルバムですが、どっちを聴くかの選択を迫られたら、曲構成の一貫性が導く聴きやすさから「ORANGE」を選びます。
一曲目のつかみから最後の曲まで聴く耳を離さないアルバムとしての完成度は、ここで極められた感があります。
その後、日本フォノグラムそしてフォーライフとレコード会社を移り、心を撃つ曲は多々ありますが、アルバムとしての完成度では「ORANGE」を超える作品には出会えていません。

「ORANGE」は伊勢正三の音楽変遷の中で生まれた、全曲をフルで聴きたいアルバムです。
ソロになりAOR路線を強めた伊勢正三が残した「ORANGE」と言う記録(レコード)は、まさに、Album Oriented Rockな1枚です。

※2021年2月1日現在、伊勢正三「ORANGE」の新品CDは在庫切れの様です。以下はAmazonの配信へのリンクです。その他の配信サービスなのでお聴きください。

※2021年2月1日現在の伊勢正三の最新作はこちら

コメント

タイトルとURLをコピーしました